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今年の抱負(前編)

 あけましておめでとうございます.

新年あけてすぐに「今年の抱負」というタイトルのエントリを書こうと思ってましたが2ヶ月とちょっとが過ぎてしまいました.

実は人工知能学会の学会誌「人工知能」の2017年1月号「編集委員今年の抱負2017」の企画で「AIブームにVRは何を学ぶべきか」というタイトルで寄稿していました.

人工知能 Vol.32 No.1 (2017年1月号)

人工知能 Vol.32 No.1 (2017年1月号)

 

 この執筆をしたのが昨年の10月ごろだったと思うので,もう半年近く経ってしまっているのですが,たったの1ページにも関わらず(むしろ,1ページしかないからこそ)割と手間掛けて書いてしまい,せっかくなので内容を紹介したいと思います.

 

さて,縁あって私は人工知能学会の学生編集委員を務めており,この「今年の抱負」というタイトルの記事を書くことになりました.ところが私はVR畑の人間であり,メインで所属しているのはバーチャルリアリティ学会です.この記事は人工知能学会の学会誌に載るものなので,何を書いたらよいものか,かなり頭を悩ませたものです.

 

はじめはAIとVRの共通点を指摘しつつ,その当時VRについて考えていたことをダラダラと書いていたのですが,初稿を書き上げてライターの長倉さんに見てもらったとき,

「論点(伝えたいこと)を一つ絞る」

「誰に何のために伝えるのか,なぜ本記を書くのか,そこから何を得たいのかを明確にする」

「問いに問いで答えずに,解でなくともいいので対応する考えを示す」

「自分の意見に自信がなくとも,語尾は濁さずに断言した方が読み手にとってはありがたい」

などなどコメントいただき,非常に勉強になりました.

 

特に,「誰に,なんのために?」という問いは,手段が目的化してしまわないよう,あらゆる行動に際してきちんと自分に問いかけていくべき重要な問いだと思うのですが,

「『今年の抱負』記事は誰のために,なぜ書くのか?」をひとたび問うと,

「学会誌は誰のために,なぜあるのか?」

さらに突き詰めて言えば,

「学会は誰のために,なぜあるのか?」

といった問いへと繋がるため,とても悩みました.

読者が人工知能学会の会員である以上,人工知能分野にもメリットのある話でないといけないわけですし.

なお,「学会は誰のために,なぜあるのか?どうあるべきか?」という問いに関しては,昨年の日本バーチャルリアリティ学会大会の「20年後のVR〜VRはどこにいくのか?若手の視点から〜」と題するパネルディスカッションでも大きなテーマとなっていました.

ディスカッションの書き起こしは,そのうち日本バーチャルリアリティ学会 » 学会誌バックナンバーで閲覧できるようになるはず.

こうした目的の明確化って,歴史があり,ある程度システムが整っている組織でほど看過されがちだと思います.

学部時代ゴルフ部に所属していた際にも,組織がどうあるべきかについて相当悩んで,そのときに出した自分なりの答えが正しかったのか,未だにあまり自信がありません.

ただ思うのは,全員の目的意識が初めから一致していることは稀で,少しずつ目的意識の違う者同士が同じ組織にいるというのはむしろ当たり前の状況なのだと思います.組織の中でその人が置かれている立場によっても,もちろん目的は変わってくるでしょうし.

しかし,そのままだとお互いの利害が一致せず,全員が不幸になってしまうため,

お互いに譲れる部分や考えを明確にし,話し合うことで,納得の上で妥協点を見つけていくというのがやはり現実的な解決策だと思います.

さらに,大きな組織だと,その妥協のプロセスで民主主義の力を借りることになるのだろうな,とは思います.

「〜の最大化」というような単純な目的関数では示せないような目的もあるとは思いますが,できるかぎりシンプルな目的意識を,構成メンバ全員で共有できている組織はやはり強いですね.研究室しかり,夫婦・家族関係しかり,会社しかり.

 

早速話が逸れてしまったため,後編にて肝心の内容は紹介したいと思います..

 

B4の2月のツイートまとめ(2/3)

こうして振り返っていると,なんだか昔の方が,ちゃんと勉強して,色んな価値観に触れて,よく考えていられていた気がするな・・

 

この頃投資の勉強をかじっていて,われわれが普段直観的に行っている意思決定って,定式化するとこういうことなんだな,というのがなかなか面白かった.

 

これはどうなってるんだろうね?心拍がクロック?

 

これは本当そう.

 

ちょっと調べたけど元ネタが分からないな・・

 

立ち上げ期のベンチャーを手伝っていたので,そのときに思った.

部活でチームプレーが好き!っていう人もきっとこういう感覚に近いんだろう.

その場にいるメンバーだけじゃなくて,人類すべての叡智がここに集結しているんだな〜としみじみ思った.

研究はベンチャーほどチームプレーではないかもしれないけど,人類すべての叡智が集結している感は同じだなぁ.単純にサーベイによって巨人の肩の上にのるから,というよりは,色んな人の意見を受けたり,対話したりする中で,自分の考えが洗練されて,研究につながるものだから.

 

やっぱり人間,説明付けられると興味が湧くものである.

投資の勉強しかり,歴史の勉強しかり,時間軸というものに対する認識が少し変わった時期だった.

 

これは最近ことさらに感じること.メディアのみならず,政策とかも結局すごく少数のネットワークの中で動いているなぁと.

人間たくさんいるけど,世の中を動かしている側の人間ってほんの少数で,影響力ある人同士はだいたい皆知り合いで,その他大勢は動かされている側なんだなと.

 

現実は不合理で泥臭い.

 

自分は社会の中で生きているんだということが大学4年でようやくわかった.

 

これも難しいけどね.十分予習するか,解説してくれる人がいないと無理だし,最低限の衣食住保障されてないと楽しむ気になれないし.

温泉旅行とか海が綺麗な島とかは目的が違いそうなのでまた別なんだろうなぁ.そういうのが必要になるのはまだまだ先な気がする.

 

わかってもらうための努力だいじです,はい.

 

なんでここで数学なんだ.よくわかりません.わからなくもないけど.

本質ってわりとシンプルだから,経験が捨象されたメッセージってほとんど当たり前のことしか言ってないよね.

自分ごととして結び付けられる腹落ちの感覚がこの頃多くて,こんなことを考えていた気がする.

 

mendeleyに論文突っ込んで満足しちゃう人のことかな

 

人間って,言動の一貫性が求められるけど,誠実に生きてたら逆になると思うんですよね.もちろん,一見真逆でも,その間に論理がちゃんとあるはずなので,一貫はしているのですが.

 

それな

 

仲間であるというシグナルですね.

B4の2月のツイートまとめ(1/3)

ツイート振り返りシリーズ.卒論終わって暇だったのかツイートが多い.

 

卒業前の時期ということもあり,進路について聞かれることが多く,そしてそのたびに「心理学からVR??全然違うのになぜ??」と言われ,毎回説明するのがちょっとめんどくさくなっていた.

ただ,この時期に何度も人生における自分の意思決定を何度も何度も人に伝える経験をしたことで,少しは説明の仕方が洗練された気がする.

基本的に,「心理学」と聞いたときに人がイメージするものがあまりにも多様であるということが齟齬の原因であることがわかった.そのため,まず最初に相手がイメージしている心理学をうまく聞き出し,その心理学と,私の言う「心理学」との違いを強調しつつ,錯覚の例示などを用いながら,心理学と工学の繋がりについて話すというストーリーが有効である.

このあたりの話は以下のエントリーに書いてある.

2015年3月に書いたもの - namiogw's diary

 

サービス業はAIに代替されるのか?みたいな話かな.

コンビニに自動レジがあって,そっちの方が正確で速いとしても,一定数やはり人間からの「サービス」を求める客は残るんじゃないかなと.

つまり店員が提供しているものって,単なる会計の遂行という機能だけじゃなくて,人とのちょっとしたふれあいも含めたサービスなわけで,インタフェースは重要.

試験勉強とかでひたすら家に引きこもっていて誰とも会話していないときとかって,コンビニの店員の「箸何膳おつけしますか?」とか「Pontaカードお持ちですか?」という機械的な発言ですら「久しぶりの人間との交流だ・・・!」と感動したりする.

 

空前のDeepLearningブームに感じていたこと.

 

 

「誰かが考え尽くしてる」どころか,↑は誰でも分かりそうなことではあるけれども.

馴染みやすさと裏切りに関して,情報量の話とか絡めて神経ネットワークのアナロジーでなんとなく捉えてるんだけど,それはまた別エントリで改めて書こう.

考える脳考えるコンピューターの内容全然覚えてないな,読み直そうかな.

考える脳 考えるコンピューター

考える脳 考えるコンピューター

 

 

これ,どこで読んだ話なんだろう.ぐぐっても出てこなくて気になる.

考える脳〜に書いてあるのかなぁ.

 

これは,起業家の人たち見ていて感じたことだと思うんだけど,心理と工学の関係でも同じようなことをやはり感じるな.

人間の仕組みを知るのはそれなりに大変なので,よく知っている人は強いし,さらにそれをハックできるとすごく強い.

起業って,すごい発想・ひらめきの持ち主がエーイとやるものだと昔は思っていたんだけど,そうではなく,社会の仕組みがよく分かっていて,次にどうなるかがある程度予測できて,仕組みの抜け穴や,課題が分かれば,あとは愚直に実行するだけってものなんだな,ってことをなんとなくこの頃理解した記憶がある.

人間の行動原理・社会の構造・お金の動き,の3つが捉えられているかどうかが大事,たぶん.実行フェーズがきっと一番大変.

 

科学と宗教に関しては今も悩んでいる.倫理の問題なので答えはないと思う.

 

私には「どうしてもこれがやりたい!」と思えるものがあるわけではなく,ひたすら自分の価値を高めることを目的として頑張り続けてきていたので,

結局それって周りの価値観に迎合して生きているってことなので,弱いんですよね.

すぐに局所最適化に陥ってしまう.

このとき,「音楽が好きだ!音楽で世界を変えたい!」と心の底から思っていて,実際に行動に出ている人に出会って,すごくカルチャーショックだった.

 

若い女性であるという消耗的な価値の利用をどういうスタンスで行っていくか問題.

 

上のように,自分の価値を高めることそれ自身が目的になってしまうと,ひたすら筋トレして自己満で終わるって感じになりかねないんですよね.

B4でちゃんと反省していたのに,結局修士の間もずっとレベル上げしちゃってた気がするなぁ・・.Dではもうちょっと挑戦しないと.

 

この頃,目上の人に会うことが多く,若さの価値を痛感した.

自分は博士後期課程に進学する決断をしたわけだけど,さすがに博士ともなると「無限の可能性」とは言っていられないし,可能性を収束させていくフェーズに入ってしまったのかな,と思う.

 

 

B4の1月のツイートまとめ

眠れないのでtwitterのログを掘り起こしている.
twitterってサービスとしてはフローなところがいいんだけど,ストックとしてまとめてみると思考の変遷や成長が垣間見えておもしろい.
更に言うと,twilogとかで単なるログは見れるんだけども,今の自分の視点も併せて整理し直してみるとよりおもしろい.
抽象的な発言が何を意図しているのか思い出せるときもあれば,自分の発言なのに何を言っているのか,何があったのかさっぱり思い出せないこともある.

 

以下は法学部の友達と飲んでいたときに感じたことで,ちょうどISISなんかが世間を騒がせていた時期だったので,ところで国ってなんなのよ?誰が定義してんの?みたいな話を振ったら色々盛り上がった覚えがある.

こんなにグローバル化が進んだ今でも「国」という単位でわれわれの権利が保障されていたりするというのは,やっぱり不思議だなと今も思う.

けれど,テクノロジーがどれだけ進化しても制度や人の慣習などがすぐに変わるわけではないので,人間という厄介な生き物がどうにか生き延びていくにあたって,現在の仕組みはそこそこうまくいっているものなのだろう.

 

 

 

 

 

 

例外として生きていく

 
以前,人工知能学会誌「人工知能」上の学生フォーラムという企画で触覚研究者(という枠には全然とどまらないのですが)の渡邊淳司さんにインタビューをしました.
 

「ウェブサイトのダウンロードランキング1位になってたよー」と聞いて,見てみたら本当に1位だった!

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きっと稲見先生のツイート砲のおかげだったのだと思うのですが,

 読み返してみたらやっぱり面白い.

境遇が似ている人をインタビュイーとして選定して,自分の興味のあることや自分に関連することばかり聞いたので,自分が読んで面白いのは当たり前なのですが,

何かの間で揺れ動き,葛藤し,自分が何者なのか自分に問いかけ続け,どうにかストーリーを紡いでいき,価値を作り出していく...という経験は,誰もが共感するところだと思います.
そして,そうやって個人のエピソードを誰もが共感できるレベルのストーリーとして昇華して意味づけているのはさすが淳司さん!といった感じ.

自分にとって情報量のないことってまったく面白くないので,私は他人の人生に何が起こったかとか,その人がどんな人間なのかとか,そういうエピソディックな話はそれ自体ほとんど興味がないし,どうでもいいと思っているのですが,

自分に起こったことをきちんと意味づけている人の話ってすごく面白くて引き込まれますよね.

僕は,知覚心理学の分野でもバーチャルリアリティ (VR)の分野でも,真ん中,王道にいるわけではなく,どこにいても例外みたいな生き方なんです.
どちらの分野にとっても,なんか変な面白そうなことをしているトリックスターのような存在.
ただし,そういう立ち位置では,全部が中途半端になったり,適当なことを言って いるだけの人になりかねない.

 自分の存在はそれぞれの分野でどんな意味があるのかということを,自分で説明しないといけない.

──特に,アート寄りの内容を学術的な論文にするのは とても難しそうに思えます.

アート作品自体には引用文献がないので,どういう歴史の中で出てきたものなのかがわからないことが多いのですが,実はそれぞれにきちんとコンテクストがあるわけですよね.
それを掘り起こしたうえで,「社会的にこ ういった問題が重要であり,それを体験的に理解することで新しい価値観を見いだすことができる.その表現にはこの技術しかない」といった書き方を僕はします.
本当の意味でのアートでは,言葉にすることは意味をなさないかもしれないのですが,作品や体験の本質を保ったまま,どうにか論文というフォーマットの中で表現するにはどうしたらよいのかということを考えます.

私達は物事の本質を探究し,人に伝える研究者であって,物事の価値を押し付けてはいけない.

博士課程のときは本当に苦しかったです.

自分が何者でもないし,誰にも認めてもらえない.

自分が何をやっているかもわからない.そもそも研究を続けたとしても, この先その業界で生きていけるかもわからない.

無理をして悪目立ちする必要はないけれど,どうやって自分の研究の価値をつくり出していくか.

これは重要なことです.

もちろん新しい領域で,面白い手 法を使って研究を進めていくことができるのは,既存の 分野で研究をやっている人がいるからです.

そういった研究への敬意が必要なのはいうまでもないことです.

特に面白かった話はアルファ碁の話.スペースの都合で結構はしょっちゃいましたが,インタビューのときはこの話でだいぶ盛り上がりました.

主体感という言葉こそ使っていなかったものの,二人羽織実験に近いものがあるなーと.

2016 年 3 月に AlphaGo の対局が話題になりましたが,僕はコンピュータ側で碁石を置いている人の気持ちにすごく興味がありました.

碁石を置く人は,コン ピュータに言われたとおりのことをやっているだけですが,その行為を通じて,だんだん心理的には自分自身が考えてやっているような気持ちになってくるんじゃない かと思うんですよね.

その変化を観察してみたいです.

以下から無料登録で読めるので,ぜひ.

id.nii.ac.jp

「PUBLIC SMILING」展

NIKKEN ACTIVITY DESIGN lab 主催の「PUBLIC SMILING」に作品を出展していました。

「PUBLIC SMILING」は、街なかに笑顔ですごせるパブリックスペースをつくってみよう、という取り組みです。今回は、視覚や聴覚、触覚、嗅覚などの感覚に直接働きかけるテクノロジーとコラボレーションすることで、ちょっと不思議な感覚や誰かと共有したくなる感覚、誰かと共感できる感覚を、ピクニックもできる広場のようなパブリックスペースで経験できたら・・・という実験です。是非、お立ち寄りください。

学会も含めると、今回のでどうやらなんともう9回目の展示経験になるっぽいのですが、

アートとか全然よく分からないし、モノづくりも苦手だし、人と関わることもそんなに得意ではない自分がよりにもよってこんなに展示ばかりしているのも不思議なものです。

今回の展示はとても印象深かったので、感じたことを記録しておきます。

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■信頼されるために

まず何より、NADの方々がすごく意欲的だったので、気持ちよく楽しく展示ができました。
展示をやるまで全然知らなかったのですが、NADというのは日建設計の中でもほんの一部のクリエイター集団のことで、とってもアバンギャルドな方々のようでした(?)。
「なんかVRとか流行ってるしよくわからんけどテクノロジー使っとこうぜ!」みたいな客寄せパンダ的考えじゃなくて、
パブリックスペースのあり方とか、テクノロジーの可能性とかを、真摯に考えているんだなというのが伝わってきて、そうすると自然とこちらも全力で取り組もうという気分になるんだなぁと。
やる気とか情熱とかそういう精神論はあまり好きじゃないのですが、大局的に見ている方向が同じなのかどうかって一緒に仕事をする上でとても大事なんだと思います。
それと分野が違うと、純粋な力量とかってなかなか判断しにくいので、
「プロフェッショナルとしてきちんとやっている人なのかどうか?信頼できる相手なのかどうか?」を判断するにあたって、信念をちゃんと持っているかという抽象的な部分で結局(はじめは)判断することになるんですよね。
研究界隈では「正しいことをコツコツやってさえいればきっと誰かが認めてくれる!」「むやみにアピールすることはevilだ!」という考え方が主流な気がします。
でも、ピュアなサイエンスの世界だと純粋な「結果」みたいなものが個人の属性からは切り離せるのかもしれないですが、実際のところそうもいかないですし、特に工学分野で企業の方と関わったりする場合には、これまでの信頼ベースで物事が進むことが多いように感じます。
なので、必要以上に自分を目立たせるのはよくないけれど、「他人に信頼されるための努力」はしないといけないな〜と思いました。
それで、自分の考えをきちんと持っていることを表明しておくための手段として、こうしてブログを書いていたりするわけです。
 
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■五感テクノロジーと建築技術

なんで建築みたいな「モノ」側の人が五感テクノロジーとかに興味を持つんだろう?と最初はすごく不思議だったんです。
でもよくよく考えてみると、建築物の持つヒトへの影響力って半端なくて、
人間の行動様式とか気分とかってモロに建築物に影響されてるわけじゃないですか。
それも単に住んでいる空間・利用している空間の快適さだけじゃなくて、
風景そのものを作り出しているわけだし、都市の価値を決めているわけだし、
「VRが人間の行動を変容する可能性が〜!」とか「感覚・情動に訴えるテクノロジーが〜!」とか「AIが〜!」とか最近叫ばれたりしますけど、
VRだのAIだのがなんだってくらい、建築技術ってのはものすごく強力に人に影響を与えうる技術なんですよね。
(たぶん建築とか都市工学とかの人からすると何を今更ってくらい当たり前の話なんだと思うけれど)
私はヒトにしか興味がない人間なので、建築物とか無縁だと思っていたのですが、
全然対立する概念じゃなかったんだな〜と理解してから建築に少し興味を持てるようになりました。
VRも建築も空間を作ってるわけで、空間が作られるとそれはもちろん人間に影響するという単純な話なんですよね。
 

■人を幸せにするテクノロジー・アートの意義

 
いつも「これが世の中どう役に立つのか?」みたいなことを聞かれると「いやこれメディアアートだし・・メディアアートのことよくしらないけどさ・・」みたいな後ろめたい気分になっていたのですが、
展示で笑顔になっている人を見て(私らしくない感想なのですが)人を笑顔にするテクノロジーというのも十分存在意義があるものだな、と思えたのは収穫でした。
ただ、GDPを何%押し上げます!という明確さに比べて、幸福って測りづらいし、それだけ「何がよい技術なのか?」が規定しづらい(なんでもありになってしまう)ので難しいです。
駅伝とかオリンピックとか、多くの人が見てるし、それで感動してるけど、
もし駅伝というものが世の中になくて、駅伝というものを作りたいと考えた場合に、
「皆が走る様子はドラマチックで感動するので、やりましょう!」と説得するのって難しそう。
でもテレビの場合視聴率という指標があるからいいのかー。。
 

パブリックアートはおもしろい

 

 

そんな展示が終わっちゃって少ししんみりしているんですが、イベントが終了したというより行きつけのカフェ(そんなものはないけど)が閉店するみたいな気持ちに近い気がします。
人間はきっと非日常を求めているので、普段忙しくて刺激に満ちている人は安らぎを、普段が退屈でマンネリ化している人は刺激を欲しがるのでしょう。
いつもの会社のエントランスがいきなり非日常空間と化すちょっとした「事件」が、
いつもそこを通る人達のふとした会話のきっかけになったりしてたらいいなぁなんて。
パブリックスペースなんて普段まったく意識したことがなかったのですが、今回の展示をきっかけに自分の思い出を振り返ってみると、
バンクーバーいたとき、周りの知らない人たちがごく親しげに話しかけてくれていたなぁ(国民性の違いはもちろんあるんだけど)とか、
この前のオリンピックのとき渋谷でパブリックビューイングして、なんか知らないけど一緒に見てた人たちと仲良くなってそのまま朝東大に案内したなぁとか、
私の場合、空間そのものよりも、そこでの人との思い出が大きい気がします。
だから空間ってやっぱり、私にとっては人間と人間をつなぐものなんだなと思いました。
 
おわり。
 
 
余談コーナー

 

ブログとかいつも、ちゃんと小見出しとか付けて階層化したいなと思うのだけど、
思考が注意散漫気味なのでまとまらない・・。
綺麗に物事を整理できて分かりやすく喋れる人、すごいなぁ見習わないとなぁ、といつも尊敬して見ています。
あと、物が作れる人ってすごいなぁと展示やってるとすごく感じます。特にハード・・・
 
日々思ったこと、文脈から切り離してTwitterに普段書いちゃうけど、同じ文脈の中で生まれた思考をこうやって文脈を補完してログ取るのちょっといいな〜とおもいました。続くかわからん。

知の逆転

なんかゆるく読書記録くらい残しておこうかなと思って久々に更新します。

一番面白かったミンスキーへの「なぜ福島にロボットを送れなかったか」のインタビューから引用。

これインタビュー2011年らしいんですよね。

 

“問題は、研究者が、ロボットに人間の真似をさせることに血道をあげているということ、つまり単に「それらしく見える」だけの表面的な真似をさせることに夢中になっている、というところにあります。

・・・

その後はもっぱらエンターテインメントに走ってしまったように見受けられます。ホンダをはじめとするいろいろな会社が、見栄えがいいロボットを作ってきたわけですが、そういうのは笑ったり動いたりするだけで、実際には何もできない。既に三〇年を浪費しているにもかかわらず、いまだに研究方針に変化の兆しも見えない状態です。本当に残念です。

・・・

おそらく、人間がするようなことをロボットができたとしても、「そんなこと簡単だろう、子供にだってできるんだから」と言われてしまって、たいした評価をしてもらえないだろうということを、研究者が認識しているからじゃないですか。最も重要なことは、まずコンピュータに、人間の子供にできるレベルのことができるようにする。そこから成長させていけばいい。研究テーマの選択を大きく誤ったために、過去三〇年が失われてしまったんです。

・・・

人間にとって難しいことは、コンピュータにとって朝飯前で、人間にとって易しいことは、研究対象としては無視されてきたわけで、全く変な話です。

・・・

もう一つの問題は、日常生活ではよくあることだけれど、研究分野でも同じで、多くの研究者がある方向の研究をしていると、若い人たちも「ああ、あの方向が重要なんだな」と思ってしまうということです。”

 

あと、チョムスキーって単なる言語学者の人だと思ってたら最近は社会問題とかに関心が深いようで、知らなかった。びっくり。

 

 

 

知の逆転 (NHK出版新書 395)

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