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感情と行動と意図と

たとえばいいね!を押すのにも、心の底からいいねと思って、その情動の現れとしていいねを押すという行動があるのではなくて、
相手との関係をよくしようだとか、いつも押されてるから押しとこうだとか、押したら押しかえされるだろうとか、そういったある部分では意識的で、そしてほとんどは無意識的な思考プロセスがあって行動に至るわけで
いいねに限らずあらゆる行動においてこういった乖離があるはずで、他人の言葉も、自分の言葉も、全部信用ならないまやかしで、心からのものなんて全然なくて。空気読んだりだとか、見返り求めたりだとか、全部そんなしょうもないもので、自分だってそうだから、幻滅する必要はなにもないんだけど、なんだか意図が見え透いてしまうと、"ウソ"のように感じてしまって、
コミュニケーションってのは相手からのフィードバックがあって成り立つから、それを予期して言動を選択するのはまぁ当たり前だし
逆に、心情としていいねと思っていても相手との関係性を考慮して思いとどまることもあるわけで
言動は、実際の感情よりもむしろ関係性によって規定されてて
そもそもこういった情動自体が原因帰属とか状況からの推論によるものなわけだからなんかあんまり因果関係がよくわからなくてぐちゃぐちゃになっちゃうけど
とにかく感情→言動っていう一方通行の単純なものじゃなくて
うーんだから私が欲しいのはなんなんだろうという
意図が見え透いてしまったら幻滅するわりに、結局欲しいのはその意図であって、でも永遠に意図は手に入らないというジレンマ
いや、自分の欲しい意図を手に入れようと思ったら逆にそれは自分が変わればいいだけだから簡単といえばめちゃめちゃ簡単なんだけど
いちいち言動介さなきゃいけないからめんどくさい、勘繰らなきゃいけないしなにも絶対じゃない。あくまで推論であって実体や物的証拠よりも自分のそのときの状態が大いに影響してる
もともと絶対の存在としての確固たる感情というものは存在しないから、むしろ、他人の感情を自分の思考によって規定するということは、正しいのかもしれない