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承認欲求

最近承認欲求について色々と考えていて、なんのオチもなくてひたすら長文なのですが、

承認欲求を即時・短期的に満たそうとする人に対して、

「承認欲求に満ちた欲深い人間め!
自分は無欲で高潔な人間だからそんな卑しい行為はしないぞ!」

って見下すような構図がよく見られるのだけれども、
欲求の満たし方の戦略選択はそれぞれの価値観の問題であって優劣はなくて、
皆同様に欲深い人間なのであるということをもっと素直に認めて自覚的であってもいいんじゃないかなー、と。

「即時的に欲求を満たすことは、長期的にみると却って自分の欲求を満たす結果にならない」
と経験的に知っている人が即時的戦略を取らないだけであって、
どちらも同じく承認欲求に突き動かされてるのは変わりないはずなのに、
特に自分と同じフィールドで、戦略性(承認を得たい対象/短期・長期性/リスクの取り方etc.)が違ったりする相手に対して人間はやたら攻撃的になることがあって、

そういう同族嫌悪は、
”戦略の違う人が欲求を満たすことに成功しているのを見ると自分の戦略に不安を覚えて羨ましくなってしまうんだけど、
今更戦略を変えるわけにもいかないので自分の正当性を認める主張をすることで認知的不協和を解消している”
のかなーと。

コツコツ真面目に勉強してきた人がコネを使った人に対して卑怯だと糾弾するようなのとか、
欲つながりだと"食欲を満たすメリット>健康維持・外見上のデメリット"という判断で好きなだけ美味しいものを食べてる人に対してデブ呼ばわりして見下したりとか。

そういう嫌悪感を抱いたときこそ、
自分が暗黙にとっていた戦略について知る格好のチャンスかもしれないなーと思いました。

意識しないと自分の設定した制約条件の中での最適解を出すことに尽力しがちで、
認知的には多分それが楽なんだけど、
制約条件自体を疑うことのできる視野の広さと、
サンクコストに惑わされない冷静さがあると、
うまく人生ゲームを攻略できるのかなーなんて、
自分なりに最近考えていました。

人生の早い段階で刺激的な満たし方に馴化してしまうとだんだん対象や手段がマンネリ化してって、行き着く先が愛人作るとか(はたから見て)訳のわからないオカルトじみた方向に走り出すとかなんですかね、それとも承認欲求満たしゲーをクリアーした暁には何かもっと高尚な世界観のボーナスステージが待っているのでしょうか。

承認欲求を持ってること自体がやたらとタブー化されてるのは全体としてはやっぱりそこが均衡点で、宗教とかもそういうところに落とし込んでるのかもしれないです。

と、ここまで書いてきて、
「皆強欲に違いない」と決めつけて、
自分が強欲であることを正当化しようとしているだけかもしれないな、
と人間の認知の歪みをまさに身を以て痛感し、
自分の観測範囲だけから断定的に物事を論じることの危うさを感じました。

ところが多くの場合聞き手側が求めているのは不確実性を伴う事実ではなくて自分の信念に合致する断定的解釈だろうし、
それも加味するとなんだかんだ戦略的なのかも、とか、難しくてお手上げです。

ほんとは「でもそんな承認欲求まみれなとこが人間っていいよね~」
とか「知的好奇心が極限まで満ちあふれた人は承認欲求なさげであいつらすげーよ」
ってことも長々と書いてたのですがあまりに長すぎて超絶カットしたのにまだまだ長文すぎて、読む人いるのかなこれって感じになってしまってまずは簡潔に話ができるようになりたいと思いました。