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ベイマックスの矛盾とペンローズの三角形

ベイマックスを観た。映画を観るのは一年に一度あるかないかレベルであって映画の教養がほとんどないため、映画全般に対する感想とベイマックス自体に対する感想とが入り混じって切り分けられないのだけれども色々と考えるところがあった。

 

・「あまりにも凡庸かつストレートなストーリーなのに、多くの人にウケた(≒共感した・飽きずに引き込ませ続けた)」

・「かなりの分業体制で制作されている」

という2つの事実が目を引いた。

 

まず前者の理由について。グラフィックにも世界観にも、心地よい絶妙な矛盾があることによると感じた。

 

心地よい矛盾とは

ペンローズの三角形のように、ローカルで矛盾していなければグローバルな矛盾を人間は認知しにくい。馴染みある世界観と、新規な世界観とで、それぞれローカルに整合性が保たれていれば、それらの矛盾は心地よく、新規な世界観の受容を容易にする効果があるのではないか。

 

世界観の矛盾について

ロボットが空を飛ぶSF的近未来の世界観の中で、警察署や鉛筆削りの存在などの身近な部分はやたら現代的である。最近では人工知能分野の議論で、シンギュラリティと職業問題について、未来の技術を現代の職業観でもって語る論調がよく見られる。人間が未来を想像する際には、何かしら身近な価値観を担保にすることが必要なのではないか。すると、人間の想像力や創造性に一定の限界が存在するように感じる。創造的に感じられるものも、既に存在する何かしらの知を他から転用しているだけであって、想像力の限界は現在の状態にかなり依存する気がした。

 

グラフィックの矛盾について

デフォルメされた人間と、人間以外の描写の3Dさ。この心地よい矛盾の融合の傾向の極限は一体どこなのだろうかと疑問に思った。もう既に極限に近いのではないかとも感じた。デフォルメ技法は、人間の用いる特徴量を強調して描くという経験知なのだろう。

 

「かなりの分業体制で制作されている」について

芸術の類は、「個々の要素の最適化は必ずしも全体の最適化に繋がらない。むしろ、要素要素の"ムダ"が、全体の価値を高める」と考えていたが、どうも個々の最適化で全体も最適化されているようだった。それが普遍的に通用するのか、優れた映画固有の技法なのかは分からない。

ドワンゴの川上会長が同じようなこと言ってたとか言ってないとか聞いたけどよくしらない。

まとめ

映画などは、一面的な価値観を押し付けられる感覚が苦痛、かつ、たとえ共感できたとしても共感自体は自分の学びにはほとんどならない、というのとで今まで忌避してきていたけれど、「多くの人が共感したor世界観に引き込まれた」という前提条件がある場合には割と学びあるものなのだと分かった。

 

皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則

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その後

思わぬところでベイマックスの話につながった。