「PUBLIC SMILING」展

NIKKEN ACTIVITY DESIGN lab 主催の「PUBLIC SMILING」に作品を出展していました。

「PUBLIC SMILING」は、街なかに笑顔ですごせるパブリックスペースをつくってみよう、という取り組みです。今回は、視覚や聴覚、触覚、嗅覚などの感覚に直接働きかけるテクノロジーとコラボレーションすることで、ちょっと不思議な感覚や誰かと共有したくなる感覚、誰かと共感できる感覚を、ピクニックもできる広場のようなパブリックスペースで経験できたら・・・という実験です。是非、お立ち寄りください。

学会も含めると、今回のでどうやらなんともう9回目の展示経験になるっぽいのですが、

アートとか全然よく分からないし、モノづくりも苦手だし、人と関わることもそんなに得意ではない自分がよりにもよってこんなに展示ばかりしているのも不思議なものです。

今回の展示はとても印象深かったので、感じたことを記録しておきます。

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■信頼されるために

まず何より、NADの方々がすごく意欲的だったので、気持ちよく楽しく展示ができました。
展示をやるまで全然知らなかったのですが、NADというのは日建設計の中でもほんの一部のクリエイター集団のことで、とってもアバンギャルドな方々のようでした(?)。
「なんかVRとか流行ってるしよくわからんけどテクノロジー使っとこうぜ!」みたいな客寄せパンダ的考えじゃなくて、
パブリックスペースのあり方とか、テクノロジーの可能性とかを、真摯に考えているんだなというのが伝わってきて、そうすると自然とこちらも全力で取り組もうという気分になるんだなぁと。
やる気とか情熱とかそういう精神論はあまり好きじゃないのですが、大局的に見ている方向が同じなのかどうかって一緒に仕事をする上でとても大事なんだと思います。
それと分野が違うと、純粋な力量とかってなかなか判断しにくいので、
「プロフェッショナルとしてきちんとやっている人なのかどうか?信頼できる相手なのかどうか?」を判断するにあたって、信念をちゃんと持っているかという抽象的な部分で結局(はじめは)判断することになるんですよね。
研究界隈では「正しいことをコツコツやってさえいればきっと誰かが認めてくれる!」「むやみにアピールすることはevilだ!」という考え方が主流な気がします。
でも、ピュアなサイエンスの世界だと純粋な「結果」みたいなものが個人の属性からは切り離せるのかもしれないですが、実際のところそうもいかないですし、特に工学分野で企業の方と関わったりする場合には、これまでの信頼ベースで物事が進むことが多いように感じます。
なので、必要以上に自分を目立たせるのはよくないけれど、「他人に信頼されるための努力」はしないといけないな〜と思いました。
それで、自分の考えをきちんと持っていることを表明しておくための手段として、こうしてブログを書いていたりするわけです。
 
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■五感テクノロジーと建築技術

なんで建築みたいな「モノ」側の人が五感テクノロジーとかに興味を持つんだろう?と最初はすごく不思議だったんです。
でもよくよく考えてみると、建築物の持つヒトへの影響力って半端なくて、
人間の行動様式とか気分とかってモロに建築物に影響されてるわけじゃないですか。
それも単に住んでいる空間・利用している空間の快適さだけじゃなくて、
風景そのものを作り出しているわけだし、都市の価値を決めているわけだし、
「VRが人間の行動を変容する可能性が〜!」とか「感覚・情動に訴えるテクノロジーが〜!」とか「AIが〜!」とか最近叫ばれたりしますけど、
VRだのAIだのがなんだってくらい、建築技術ってのはものすごく強力に人に影響を与えうる技術なんですよね。
(たぶん建築とか都市工学とかの人からすると何を今更ってくらい当たり前の話なんだと思うけれど)
私はヒトにしか興味がない人間なので、建築物とか無縁だと思っていたのですが、
全然対立する概念じゃなかったんだな〜と理解してから建築に少し興味を持てるようになりました。
VRも建築も空間を作ってるわけで、空間が作られるとそれはもちろん人間に影響するという単純な話なんですよね。
 

■人を幸せにするテクノロジー・アートの意義

 
いつも「これが世の中どう役に立つのか?」みたいなことを聞かれると「いやこれメディアアートだし・・メディアアートのことよくしらないけどさ・・」みたいな後ろめたい気分になっていたのですが、
展示で笑顔になっている人を見て(私らしくない感想なのですが)人を笑顔にするテクノロジーというのも十分存在意義があるものだな、と思えたのは収穫でした。
ただ、GDPを何%押し上げます!という明確さに比べて、幸福って測りづらいし、それだけ「何がよい技術なのか?」が規定しづらい(なんでもありになってしまう)ので難しいです。
駅伝とかオリンピックとか、多くの人が見てるし、それで感動してるけど、
もし駅伝というものが世の中になくて、駅伝というものを作りたいと考えた場合に、
「皆が走る様子はドラマチックで感動するので、やりましょう!」と説得するのって難しそう。
でもテレビの場合視聴率という指標があるからいいのかー。。
 

パブリックアートはおもしろい

 

 

そんな展示が終わっちゃって少ししんみりしているんですが、イベントが終了したというより行きつけのカフェ(そんなものはないけど)が閉店するみたいな気持ちに近い気がします。
人間はきっと非日常を求めているので、普段忙しくて刺激に満ちている人は安らぎを、普段が退屈でマンネリ化している人は刺激を欲しがるのでしょう。
いつもの会社のエントランスがいきなり非日常空間と化すちょっとした「事件」が、
いつもそこを通る人達のふとした会話のきっかけになったりしてたらいいなぁなんて。
パブリックスペースなんて普段まったく意識したことがなかったのですが、今回の展示をきっかけに自分の思い出を振り返ってみると、
バンクーバーいたとき、周りの知らない人たちがごく親しげに話しかけてくれていたなぁ(国民性の違いはもちろんあるんだけど)とか、
この前のオリンピックのとき渋谷でパブリックビューイングして、なんか知らないけど一緒に見てた人たちと仲良くなってそのまま朝東大に案内したなぁとか、
私の場合、空間そのものよりも、そこでの人との思い出が大きい気がします。
だから空間ってやっぱり、私にとっては人間と人間をつなぐものなんだなと思いました。
 
おわり。
 
 
余談コーナー

 

ブログとかいつも、ちゃんと小見出しとか付けて階層化したいなと思うのだけど、
思考が注意散漫気味なのでまとまらない・・。
綺麗に物事を整理できて分かりやすく喋れる人、すごいなぁ見習わないとなぁ、といつも尊敬して見ています。
あと、物が作れる人ってすごいなぁと展示やってるとすごく感じます。特にハード・・・
 
日々思ったこと、文脈から切り離してTwitterに普段書いちゃうけど、同じ文脈の中で生まれた思考をこうやって文脈を補完してログ取るのちょっといいな〜とおもいました。続くかわからん。